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日々是精進

読書体験のもたらす意味

「読書をすることがいい」よくそう言われることがある.
しかし,実際何がいいのか,よくわからない場合がある.
それを自分なりに少し考えてみた.

まず,知識を詰め込むよりも色々な体験をした方がいいとよく言われる.
それは細かい知識に偏りすぎて,体験ができなくなってしまうという欠点からだ.
自分も比較的考えずに行動することが多く,悩み始めたらとりあえずやってみることが多い.
例えば,ジェットコースターに乗ってみる.これは読書では得られない体験だ.
思い切って旅をしてみる.これも読書からは得られない.
また友人関係において,喧嘩した.これもまた実際に友人とのかかわり合いの中で発生するものである.
特に五感を刺激するような体験は身体的に活動しなければ得られない.人生において重要な経験である.

しかし友人関係に関して,もし同じような状況を描いている小説を読んだらどうだろうか?
小説を読んでいるとき,読者はその物語にのめり込み,その登場人物になりきることが多い.もしくは批判的にこれはおかしいと思いながら読むこともあるだろう.
その登場人物になりきって読んでいる小説において,現実と同様の体験を行なっているとは考えられないだろうか?
もし登場人物が自分と同じ行動を起こしたなら,小説内と同じような反応をする相手がいる可能性がある.反応に関しては人それぞれであるので必ずその反応を得るとは言い切れない.ただ,対話は完成している.
逆に違う行動を起こしても,こういう行動があるのかと認識もし,さらに反応をした時のフィードバックも読書を通じて体験できる.
そう,小説において登場人物に自らを重ねることによって意識における疑似体験をすることが可能なのだ.
これは,小説だけではなくストーリー性のあるゲーム(RPG)などでも同じことが言えると思う.
(ただ自分はRPGは途中での戦闘やらアイテム収集などで疲れてしまうので読書のほうが好きなのだが・・・.)
五感による体験は出来ないが,読書によって意識的な体験は出来ると考えた.

ここまで小説の読書体験について述べた.
次に論説本について述べる.
論説文は自分の中では議論と思っている.論文と同じようなものだ.
各々がその本の中で意見を述べている.読者はそれに関して,もし無知ならばそのまま吸収するであろうし,背景知識などをもっていれば,反論をする場合もあるだろう.
誰もが同じ意見ということはありえない.いかに多様な意見を聞き,咀嚼し良いものだと思うものを吸収していくかが,世の中を渡っていくために必要な能力だと思っている.一人の意見を聞くよりは何人もの意見を聞くほうがよい.
偏ったものの見方しかできない人は井の中の蛙である.

良書に巡りあう事が大切である.良書は数多の背景をもとに書かれているものなので,吟味されている.その良書の中で自分の意志を作っていく.それは自分でしか見つけることは出来ない.
たくさんの書を読み自分の意見を確立し,身体的体験によって五感を磨いていくという2つのバランスが成功への鍵なのではないかと考えている.