理解するということ
まぁこれから書くことは一般に勉強している人なら大体知っている話なんではないかと思ったんだけど自分の言葉で書いてみました.
物事を考えるとき木を見て森を見ずになりやすい。特に難しいものになればなるほど。
例えば,新しい分野の話を聞いたとき,出てきた数式はどうやって解くの?など.
そんな細かいことを考えるよりも分からないときは少し上から見て大ざっぱにどう繋がっているのかを考えてみる。 分からなければどんどん大きい枠で見ればいい。
ただそれでも分からないときがある。
その理由として考えられるものが
* 関係するものが知識の中にない
だ。
この問題を解消するために勉強が必要なのだとおもう。
実例が必要であったり。
難しくなってくるとその時にはすぐに分からないことがたくさん出てくる。
しかしそれを繰り返すうちにこれとこれはこう繋がっていると分かったりする。
その溝を埋めるものがすぐ分かればいいのだがそう上手くはいかない。
だから幅広く知っておくことが必要なのかな。
時間が解決するっていうのは別の知識が入ったときにその溝を埋めてくれて理解できるのではないかと思う.
余談だが日本の教育は詰め込み教育だとか言われるが、それは結局知識の関係を体系付ける土台になるはずであり物凄く重要だと思う。
また読書も重要だと思う。
言葉とは人間の意志疎通の手段である。理解するのもさせるのにも必要。
読書している人間は言葉のパターンをよく知っているので伝えるのも理解も出来る。
人間の頭も所詮機械学習なのだとすごく感じている。 結局パターンを繰り返すことによって覚え、それをまた新しいことに当てはめの繰り返しなのではないかな。